大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山家庭裁判所宇和島支部 昭和63年(家)231号 審判 1989年5月17日

主文

本件各申立てを却下する。

理由

1  本件申立ての要旨

(1)  申立人と相手方とは昭和59年1月9日協議離婚の届出をし、その際長女典子、事件本人らの親権者を申立人と定めた。

(2)  相手方は、同年8月典子と事件本人らを申立人に無断で連れ去つた。そこで、申立人は子の引渡しの調停を申し立てたところ、昭和60年1月22日に長女の親権者を申立人から相手方に変更し、事件本人らを従前どおり申立人において監護養育する旨の調停が成立した。

(3)  ところが、相手方は、昭和63年2月再び事件本人らを自分のもとに呼び寄せて共に生活をするようになつた。

(4)  よつて、事件本人らを申立人に引き渡すことを求める。

2  当裁判所の認定した事実

本件記録、昭和57年(家イ)第82号、昭和58年(家イ)第54号、昭和59年(家イ)第84号ないし第86号各事件記録によると、以下の事実が認められる。

(1)  申立人と相手方とは、昭和47年4月20日に婚姻届をし、同年11月24日長女典子、昭和50年7月5日長男実、昭和51年11月5日二男守をもうけた。

(2)  相手方は、申立人と不仲になり昭和57年8月ころ3児を連れて別居し、2度にわたり離婚調停を申し立てたが、互いに親権者になることを主張したため、不成立となつた。

(3)  申立人と相手方とは、昭和59年1月9日3児の親権者をいずれも申立人と定めて協議離婚し、以後3児は申立人において監護養育されていた。ところが、同年8月ころから相手方が3児を引き取つて養育するようになつたため、申立人は子の引渡しの調停を申し立てたところ、昭和60年1月22日、典子につき親権者を申立人から相手方に変更するが、事件本人らについては従前どおり申立人において養育する旨の調停が成立し、事件本人らは申立人に引き取られた。

(4)  事件本人らは、調停成立後も毎月2回程度相手方のところで泊まるなどしており、昭和62年12月24日ころから冬休みの期間中には相手方のもとで生活をし、その後一旦申立人のところに戻つたが、翌63年2月ころから相手方のもとで再び生活をするようになり、以後現在まで、相手方に養育されている。

(5)  事件本人らは、いずれも中学校に通学しており、相手方に引き取られて以来1年余りの間相手方の監護養育を受けて健康に成育し安定した生活を送り、養育上差し迫つた問題はない。また、事件本人らは、相手方のもとで生活することを強く希望している(なお、実は同年8月ころ兄弟喧嘩をしたとき腹立ち紛れに申立人に「帰りたい。」と電話を掛けたことがあるが、真意ではなかつたと述べている。)。

(6)  申立人は、金井チエ子と内縁関係にあり、トラツク運転手として働き、月収20万円程度を得ており、同女とともに事件本人らを引き取つて養育することを熱望している。

(7)  一方、相手方は、水商売など職を転々しながら、平成元年4月以降姉夫婦方に身を寄せ、姉夫婦の協力のもとに事件本人らを養育している。

2  以上認定の事実によれば、申立人は、事件本人らを引き取り養育することを切望しているものであつて、事件本人らの実父として、その愛情に欠けるところはなく、また経済的にも安定した生活を送つている。他方、相手方は、職を転々とするなど懸念すべき点があるが、姉夫婦の援助を受けながら熱意を持つて事件本人らの監護養育に当たつており、事件本人らは、相手方に引き取られて以来、精神的にも一応安定し健全な成長を遂げつつあり、今後も相手方に養育されることを強く希望している(事件本人らが相手方のもとで生活するようになつて以来1年余りの期間が経過しており、その間申立人に何度も会つているが、申立人のところで生活したいという素振りが見られないこと、家庭裁判所調査官の調査結果などに照らすと、事件本人らの意思は本心から出たものと認められる。)。

そうすると、現時点においては、差し当たり事件本人らの監護養育上その生活環境の変更を必要とする特別の事情が認められず、事件本人らの福祉とその向上を図るためには、現在の監護関係を変更させるよりも、むしろ引き続き相手方のもとで監護を継続させる方が必要かつ適切である。

よつて、申立人の本件各申立てを却下することとし、主文のとおり審判する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例